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2010/07/11

今季初甲子園

 遅ればせながら、今季初めて甲子園球場へ。4時半ごろに着いて、つれあいと二人で居酒屋状態。強かった日差しも徐々に落ち着き、心地よい風も吹いてきて、ますますビールが進む。

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 今日はレフトポール際。2回裏の浅井のライナー性の当たりが、すぐ真横のフェンスにバウンドしてそのままスタンドへ。幸先のよいスタート。しかしそのあとは横浜にじりじり詰め寄られ、ついに逆転を許す。
 8回表にはまさかの「ピッチャー・久保田」。スタンドも、なんでここで久保田やねん、敗戦処理?、というどよめき。案の定、差を2点に広げる。
 前の席の人が終了を待たずにフェードアウト。ところが9回裏の猛追。結局は桧山のレフトフライでジ・エンド。起伏に富んだ試合で盛り上がりもしたが、負けは負け。甲子園観戦6連敗。

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 帰りは、なんばまで600円で帰れる直通バスがあると知り、乗車。割高だが、快適で、あっという間に着いた。

2010/07/09

日本代表監督の来訪

 昨日、岡ちゃんがうちの会社に来た。野次馬したら「職務専念義務違反」になるかもしれないから見に行かなかったけど、業務が当たっていた同僚曰く「意外と小柄だった」とのこと。調べてみると公称175センチメートルで、私よりも低い。テレビで来訪の模様が放映されていたが、やっぱり、信念を貫いてしかも一定の結果を残したということで、自信に満ちた表情をされていた。心から敬意を表したい。
 今日のスポーツ紙に、子どもたちに囲まれた監督と社長の記念写真が大きく載っていたが、後ろのほうに知っている人が何人も写っていて、ちょっとおもしろかった。

2010/07/08

インチキをやっちまった

 今夜はわりと早くに帰れて、気分もいいので、書きためていたメモを整理して、ブログを1ヶ月ぶん、記事本数にして8本を「遡及更新」した。つまり、インチキ更新(苦笑)。書き始めると没頭できるのに、なかなか日課にはならない。まあ、深夜帰宅の日も多いからなあ。もしかして、RSS購読している方がおられたら、突然過去記事がいっぱい来てびっくりされたかもしれない。ごめんなさい。

 でも、それができるのも、ポメラと、EVERNOTEのおかげ。とりわけEVERNOTEは、ほんとうにこんなツールを待っていた、とうとう巡り会った、というぐらい、私にフィットしている。そのうち使用感を紹介したい。

 ちなみに、この記事はリアルタイム更新です。おやすみなさい。。。

「広報東京都」7月号

 学会年報の追加注文分が届いたのだが、梱包の緩衝材に、たまたま(もしくは、送ってくださった方が意識して?)「広報東京都」の7月号が入っていた。

 タブロイド判12ページ。我が社のものと同じ体裁で、レイアウトもとっても似ているので、編集業者は同じなのかもしれない。

 目を引いたのが、2ページ目の片隅にあった「監査により事務が改善されました」という記事。監査で指摘された事項が事務改善により効率化された、ということで、事例とともに紹介されている。そのひとつ、

「教育庁では、高等学校12校に校内LANを整備した際、機器の収納には大きすぎるラックを用いたため、工事費が約632万円過大となりました。21年度の工事では小型のラックを用い、工事費を節減しました。」

 物は言いよう、だなあ、と。「おお、節約できたのか、よくやった」って映るだろうなあ。でも、広報の極意を見たような気がした。

 まあ、東京都は金持ちだもんなあ、と拗ねてみる。ちなみに自分のやってる事業の予算は、小学校約300校ぶんで総額400万円。632万円の無駄とは、、、天文学的数字です。

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2010/07/06

梅棹忠夫先生の訃報

 梅棹忠夫先生がついに鬼籍に入られた。

 高校のとき、友人のあいだで、岩波新書の探検物を読むのが流行った。その一冊が、『モゴール族探検記』。わくわくした。
高校3年生の時のクラス担任の先生が、そんな私たちの話題に割って入ってきて、曰く「梅棹忠夫には大学で教わったが、ラテン語で授業をやっていた。怖かった。」と。戦後間もない大阪市立大学でのことだ。

 やがてその人が、民博の創設に大きく関わったひとであり、また『知的生産の技術』の著者であることがわかった。『知的生産の技術』は、すでにワープロが個人にも普及し始めている当時にあっても、アカデミックな雰囲気にちょっと背伸びをしたい年頃の私には十分刺激的だった。人文で秘書をされていた藤本ますみさんの『知的生産者たちの現場』も、とてもおもしろかった。

 その後、『研究経営論』『情報管理論』という本が相次いで上梓された。私の職業選択に大きな影響を与えた。情報を司り、必要とされるところへ届けるということは、奥が深く、一つの分野として確立されるべきであるという確信を得た。「図書館学」「情報科学」「博物館学」などと細分化されることに違和感を感じていたところに、一つの光を当ててもらったような気がした。そういえば、「学際」ということばを早くから使われていたのも梅棹先生である。

 大学時代、音楽学を専攻していた関係で、民博に幾度となく出かけた。国際シンポジウムのお手伝いであったり、研究室の資料整理のアルバイトであったり。そこで何度か、「本物の梅棹忠夫」とすれ違った。興奮した。そのときの私はただのミーハーだった。その時すでに光を失われていた先生に、声をかける機会はとうとうなかった。

 あれから長い時間が経ったが、こうしてさまざまなことが鮮明に思い出されるということは、梅棹先生の影響が私の中の深いところにずっと流れ続けているからなのだと思う。


2010/07/05

iOS4に

 電車の中や喫茶店などで、iPhoneユーザーを見かけることがとても増えた。そう思いませんか?

 iPhone4が絶好調な中、3GS導入8ヶ月の私はさすがに物欲をこらえ、しかし、いそいそと新OSへ無償バージョンアップ。

 使い道がある程度固定しているので、マルチタスクなどは不要。メールのダウンロードや表示がちょっと重たくなったかな、という気もするが、許容範囲。なにより、日本語変換の効率が劇的に改善。しばらくはこれで十分。

 と思っていたら、今日いっしょに飲みに行った人が、なんとも自慢げに、iPhone4を見せびらかしてきて、、、

 ちょっと、うらやましかった。ちょっと、、、いや、、、だいぶん。

 いえ、我慢しますよ。

(ちなみに、iPadはまったく興味なしです)

2010/07/02

祝「公教育計画研究」第1号発刊

 学会の年次大会に間に合わなかった年報が無事発刊の運びとなり、私の手元にも届いた。編集担当の理事としてはきわめて力不足で、なんの働きもできなかったが、ともあれ、めでたい。

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 ちゃんと読んで、勉強しなければ。

 ちなみに、5月の大会の模様をまとめたニューズレター第3号が発刊された。こちらから。興味を持たれた方はぜひ、学会にご入会ください。

2010/06/27

味な夜

 土曜日、夕方からちょっとした用事でつれあいと出かけ、終わってから遅めの夕食。最初に決めていた店は臨時休業で、いつもの店に電話すると「雨降りやから暇で暇で、」とのことで、直行。
 うそやん、店内はほぼ満席。最後のテーブルに陣取る。いつもよりだいぶん遅い時間なので、客層が少し違う感じ。

【今日のお酒】
 (1) 芋焼酎「三岳」前割り
 (2) 宮城「墨廼江」純米吟醸
 (3) 兵庫「香住鶴」生酛純米生原酒
ほかにも飲んだような気がするが、覚えていない(爆)。ちなみに写真撮影はつれあい。

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 肴は、「うにジャン」と「スイートコーン」が大ヒット。板場担当のおにいちゃんが、よかったらどうぞ、って、イカのゲソやらアンペラやらをバターで炒めてくれた。うれしかった。

2010/06/20

永六輔さんの近影

 朝日新聞の夕刊に永六輔さんの写真が出ていた。歳をとられていて、ずいぶん感じが変わられていた。

 記事のなかみは、トリローグループの頃の話。戦争に負けて、近代化が猛スピードで進む中、新しいものを暗中模索で作り上げる、というシーンが社会のあちこちにあった時代。うらやましいほどクリエイティブで、だれもがパイオニアになれそうな、そんな雰囲気が満ちている、ように私には見える。幸せの基準は時代によってそれぞれで、たぶん今の私も幸せなのだろうけど、当時は、今よりももっと「おもしろそうな」世の中だったように思える。

 永さんは、リアルタイムでは「テ~レビ~~ファソラ~シ~ド」ぐらいからかな。そういえば、頼近さんは早世されたなあ。
 

2010/06/16

京屋丈の近況

 中村雀右衛門丈は1920年生まれの90歳。又五郎丈亡き後の梨園最古参のお一人。踊りの上手な役者を好む私の、ベスト3に入る。

 さすがに高齢で、初春に歌舞伎座に出演か、と思いきや、休演のニュース。途中1日だけ出られたようだが、ただ座っているだけで、そこまでして、というような舞台だったようだ。

 そして、6月の公式ホームページに、「丈は小康状態におられます。意識ははっきりしておられ」と出てしまった。

 思い出すのは、2005年9月の歌舞伎座昼の部「豊後道成寺」。一度見てびっくりして、、一念発起、日曜日の朝に飛行機に乗って日帰り二度目観劇を敢行。20分ほどの踊りだけれど、道成寺物のエッセンスをさらに凝縮したような「濃い」舞踊で、特に最後の、緞帳があと3メートルほどで下りきるというときの、京屋丈の、蛇が憑依した表情が、忘れられない。
 番付を取り出してみると、舞台写真付きだった。おもわず、いい記念になりそうだ、と思ってしまった。せめて、安寧な余生をお送りいただきたいと願うばかりである。

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 余談ながら、豊後道成寺の前後は、「賀の祝」と「東海道中膝栗毛」。でも、膝栗毛は、京蔵丈の怪演と歌江丈の「十三世仁左衛門の声色」に大爆笑したあとは、富十郎丈と吉右衛門丈のあまりのはしゃぎぶりにギャップを感じて、二回とも途中退席(苦笑)。番付を見ながら、いろいろなことが思い出された。